日本で唯一のスポーツ専門デザイナー・大岩Larry正志氏講演会。「デザインする人も、プロの選手たちと同じくらいの知識と熱意、そして努力を」【バンタンデザイン研究所】
スポーツファン必見!
数々のスポーツチームのユニフォーム、グラフィック、ポスターのデザインを手がける気鋭のデザイナー、大岩Larry正志さんをお招きしました。
「僕の美大時代のサッカー部の後輩なんです!」と、紹介する渡辺講師。
「大岩Larry正志です。仕事のうち9割5分がスポーツチームの仕事をしています。グラフィックデザインの中でも、ちょっと珍しいジャンルですね。
出身は武蔵野美術大学でしたが、専門は建築で、美大で唯一現物を作れない科でした。
なので、在学中からポストカードとかTシャツをデザインしていました。
ある時、自分の作ったTシャツが少数ですが、売れたことがありました。
デザインがお金になる!という興奮もあって、父の建築事務所を継ぐつもりだったのですが、今でもこういう仕事をしています。」
<卒業後、フリーランスに>
「デザイナーでやっていこう、と、就職せず、フリーランスできた結果、現在に至るという稀有な人生を歩んでいます。
喋りの仕事もしており、アニメ『The World of GOLDEN EGGS』では、ローズマリーなど50キャラくらいの声優もやっています。
あの作品は、先に声を撮って、後から絵をつけるという、珍しい作り方をしているんです。
知り合いから依頼されてやることになったのですが、気づけば多くの人に知ってもらえるようになっていました。
このアニメのおかげで、吉本の芸人養成所のNSCのネタ見せの審査員もやらせてもらったりします(笑)。
もちろんお笑いは大好きです!」
他にも、地元・滋賀県の『イナズマロックフェス』ロゴデザインなども担当。
「22年前に、数枚のTシャツが売れただけで、『俺はやれる!』と言ったものの、大学出たてのデザイナーに仕事はありませんでした。
自分のセンスに自信はあったけれど、世の中にはセンスの良い人がいっぱいいる。自分が仕事をもらうためにはどうすればいいか?
個展もやりながら23歳から26歳くらいまでずっと考えていました。寝言でも言ってたんちゃうかな?
食べられてはいたけれど、人に知られるほどの仕事はなくて、何かの軸がないとダメだと感じていました。」
<野球知識検定5級。スポーツ専門デザイナーになることを決意>
「思うと、昔から野球オタクで、野球知識検定も5級です。野球専門週刊誌も30年以上買い続けていますね。
高校も、日本で一番甲子園に出ている平安高校出身です。いくつか受けたうちの一校でしたが、それも運命かなぁと思ったりします。
僕は野球部ではありませんが、関東の野球部OB会にも入れてもらっていたりします。
この仕事を始めたキッカケは、2000年頃。
イチローさんとかがメジャーリーグに行き始めて、ヤンキースのグッズとかを目にすることが増えたんです。
『日本にはないデザインだな』と気になっていました。
昔からアメリカのスポーツユニフォームを輸入している店で、『ワッペンが格好いいな』と眺めたりすることがあって。
当時、日本にスポーツ専門のデザイナーは一人もいませんでした。
メーカーが、社内にデザインチームを持っていて、デザインもしているケースが多いです。
そこで、日本で最初の『スポーツ専門デザイナー』になろうと決めました。
思うのは勝手ですよね。そのとき、自分の中で探していた答えが出た気がしました。」
<ファンの人たちが、どうしたら喜ぶのかを考える>
「圧倒的な知識と熱意を持っていること、そして努力をしていたことが、オファーをいただけている勝因かなと思っています。
クライアントから注文があったうえで、提案もできるので、半分クリエイター、半分商業デザイナーみたいな感じです。」
2013年には、楽天イーグルス夏季限定ユニフォームTOHOKU GREENをデザイン。
6枚の葉が円を描いているモチーフで、東北6県が一丸となったイメージで制作。
同年LEAGUE CHAMPIONSでは、モチーフを葉っぱからチャンピオンフラッグに変更し、一県一県にチャンピオンフラッグをもたらすイメージに。
同年JAPAN CHAMPIONSではモチーフを羽にし、大きく羽ばたいていく様子を表現。
「三部作は、ファンの方々にも好評でした。
それまで、デザインは『格好いいやろ!?』みたいな、作り手発信の偉そうな感じだったのでは、と思います。
それを『ファンの人たちがどうしたら喜ぶか』を考えたらいいと気づく契機になりました。
デザイナーは半分芸術家な感じがありますが、半分は対象のためにやるという考えになっていきました。
あと、ものづくりは楽しんでやったほうがいいです。僕が楽しんでやっていると、それが見る人にも伝わるんじゃないかなと思います。
『俺やったら、こういう風にするなー』を、仕事を頼まれる前から考えておくのも重要かなと思います。」
<一流選手のための戦闘服。可能な限り、時間もお金も感情も入れないと失礼だ>
「一軍で活躍できるスター選手はほんのひと握りです。4,000校の中から、甲子園に出場できるのは50校ほど。
その中からレギュラー9人が選ばれて、そのうち数人がトッププロになる。
そういう人が着る戦闘服を作るのだから、その選手たちが行ってきたであろう想像を絶する努力を、
デザインするこちら側もできるだけしないと失礼だと思っています。なので、僕は可能な限り、時間もお金も感情も入れてきました。
申し訳ないけれど、スポーツに関わる他のデザイナーは、恐らくそこまでやっていないんじゃないかなと。
だとしたら僕ならそれはアスリートに失礼だと思いますと、インタビューでも伝えています。
例えるなら、ハリウッドスターがレッドカーペットを歩く時に着る衣装です。
華々しく、作り手も真剣に考えている。同じようにユニフォームをデザインする側も、人一倍努力をしなくてはいけないと思います。」
<スポーツにはデザインが足りてない>
「よく、僕はデザイナーをお医者さんに例えます。エディトリアルデザイナー、装丁デザイナー、フォントデザイナーなど、
デザイナーはいっぱいいますが、僕はスポーツデザインというジャンルが必要だと思いました。
歯が痛ければ歯医者さんに行きますよね?スポーツのことは、スポーツデザイナーに頼むべきだと感じます。
日本のスポーツには、デザインが足りていません。」
質疑応答では、学生たちから多くの質問がよせられました!
Q.カメラマンさんには、どのような指示を出しますか?
大岩さん「選手は、写真を撮られることが仕事ではないです。得意ではない人もいるし、ポーズもできない人もいます。
なので、選手側が動くのではなく、カメラマンが動くこと。」
Q.今後、挑戦してみたいデザインやチームはありますか?
「メジャーリーグのロゴやユニフォーム。デザインは言葉が関係ないので海外チームの仕事はいつか絶対やりたいです。
あとは、スタジアムもやりたいですね。大きな影響を持つ建物はやってみたいなと感じます。」
Q.フリーランスになり、まず何を始めましたか?
「自分を助けてくれる知り合いは多いに越したことはないです。
なので、いろんな人に会ったり、紹介してもらったりしましたね。結果、本当に全部繋がりだけでここまできていますね。
あとは、人に『いつかプロ野球のユニフォームをしたい』と喋っていたし、
『こんなユニフォームがあるといい』という個展も、ギャラリーを借りて開催していました。
最初に仕事が決まったのは、実は美容室でした。ある日、お世話になっている美容師さんから電話かかってきて。
『ウチのお客さんで、他球団職員の人が、西武ライオンズに転職する人がいて。
その際に、普段と違うユニフォームを着て試合をする企画を提案したいそうです。頼めますか?』と相談されたんです。
すぐにその職員さんと会うことになり仕事になりました。狭い世界なので、それが他の球団にも広まっていった感じですね。
ぜひ人と会って、繋がりをいっぱい作ってください!」とエールを送りました。
講演会後は、ポートフォリオの講評会も行われ、一人ひとりの作品に丁寧にフィードバックしてくださいました。
日本になかった「スポーツデザイン」というジャンルを築き、自らトップデザイナーとして活躍し続ける大岩講師。
仕事に対するマインドや、圧倒的な知識と熱量に学生たちも感化されたのではないでしょうか。
大岩講師、ありがとうございました!