「『自分だけの答え』が見つかる13歳からのアート思考」著者・末永幸歩氏講演会レポート。自分なりのものの見方を育てる方法とは?【バンタンデザイン研究所】
末永幸歩氏 特別講演会レポート‼
今回は、通常授業が始まる前に実施されたオンライン「講演会」をレポート。
「末永幸歩です。美術が得意だった人も、苦手だった人も楽しめる授業にします」とご挨拶。
末永講師は、「『自分だけの答え』が見つかる13歳からのアート思考」著者で、TV番組「セブンルール」へも出演。
「私は、美術教師です。一般的な美術の授業は、作り方などに偏っている場合が多いですよね。
皆さんも、アートを見ても自分の感想が出てこないといった体験があるのではないでしょうか?
私は、アートを通して、その人のものの見方を広げ、自分の見方をつくる探求型の授業を行っています。
これをアート思考と呼んでいて、全国の学校、教育機関、大人向けの企業研修やセミナーなども行っています。
2年半前に書いた『13歳からのアート思考』では、マティス、ピカソ、アンディ・ウォーホルなど6人を取り上げています。
彼らが作品を作る過程で、常識を疑い、いかに彼らなりのものの見方をしていたのかを読み解いています。
アート思考は、さまざまな人の生き方の土台になるものではないかと考えています」とメッセージ。
- <1.アートとは?>
「そもそも、アートとは何でしょうか?アーティストとは?オンライン参加の方はチャットに書いてみましょう」
「アートは、価値観を形にするもの」「自由」「この世のすべて」といった意見が。「素敵な答えがでてきましたね!」と
さまざまな答えを認めたたうえで、「アート思考を、私は次のように定義しています。
『自分なりのものの見方』で世界をみつめ、『自分だけの答え』を創り、それによって『新たな問い』を生み出すことです」
<パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」(1907年)>
「この作品は、ピカソが26歳のときに描いた作品で、20世紀美術に大きな影響を与えました。
これを見て、どんな感想を持ちますか?
パーツの向きがおかしいなど、チグハグさを感じるかもしれません。
この絵の面白いところは、自由奔放に書いた訳ではなくリアリティを追求して描いた点です。
一般的に写真のように、遠近法で描かれた絵がリアルだと思います。
遠近法の特徴は、視点が一箇所に固定されていること。言い換えると、一箇所のリアルしか描かれていないのではないか?とピカソは考えました。
現実では、さまざまな角度から対象を見ますね。また、見るという行為には、その人の『知っている情報』も入り込んでいます。
ピカソは、人が現実を捉える方法に近い表現を模索した結果、人物を横、斜めなどさまざまな角度から見た姿に再構成することを試みました。
これは、視覚で見た情報と、これまでの情報とを組み合わせた新しいリアリティの表現なんです」
<アート思考を、架空の植物に例えると……>
- 地表に咲く、表現の花=自分だけの意図や考え
- 根本にあるのは、興味の種=自分が抱く違和感、興味
- 探求の根=考え続け、試しにやってみってみたりする
「アート活動を突き動かすのは自分自身で、他人が定めるゴールではありません。
アート思考を架空の植物に例えるなら、地表に咲く花……ではなく、種から根っこの部分です。
アートにとって、より本質的なのは探求の過程です。根を伸ばすのには長い時間がかかりますが、この過程こそがアート思考の過程です」と解説。
「『アビニヨンの娘たち』を発表した当時、ピカソは、フランス美術界から作品を酷評されました。自分だけの興味は、すぐには評価されないかもしれません。
それでも、『アート思考』は全ての人に必要です。変化が大きく、先の見通しがきかない時代にこそ、『アート思考』が生き方の軸になり得ると思います」
<2.アーティストとは>
「アーティストと対照的な生き方として『花職人』があります。アーティストと違い、探求の目を持っていません。
既にある方法で、綺麗な花を次々に咲かせる人のことを呼びます。アーティストと花職人の違いは、仕事の仕方です。
いくら見事な花を咲かせても、自分の種がなければ何もなくなってしまいます。
大切なのは、自分の種と根っこさえあれば、花が咲いていようがいまいが、植物としては立派に存在するということです。
会社員=花職人かというと、そういう訳ではありません。
クリエイターという肩書きを持っていても根や種のない花職人もいるし、逆もまた然りです」
<レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の聖母」/1483年~1486年>
「ダ・ヴィンチが生きていた時代、画家は職人で、依頼された内容で宗教画や肖像画を描くことが一般的でした」
『岩窟の聖母』は、従来の描き方とは異なり、正確に人物を描写。
それまで宗教画では当たり前とされていた後光や天使の羽を描かず、現実に近い形で表現。
「ダ・ヴィンチも、当時の常識を疑い、自分なりの作品を追求しました。結果として足跡が残っています。
アーティストが残す足跡は、絵画、彫刻である必要はありません。映像、ファッション、メイク、ビジネスの形をしていてもいいと思います。
その過程で根っこを伸ばしていると言い切れるのであれば、今日の授業もアートと呼ばれる可能性を秘めているのではないかと思います」
<3. 自分なりのものの見方>
「自分なりのものの見方を育てるヒントのひとつに、自分が今している見方を疑ってみる方法があります。
ふたつ、話をします。ひとつめ、1歳前だった娘を海岸に座らせていると、砂を口に入れ、何回も舐めていました。
何を気に入っているのかが気になり、私も砂を口にしてみました。
ジャリジャリしていそうと思いましたが、口にすると滑らかでまるでジェラートのような食感でした。
このとき思ったことは、大人が信じ切っていること、視覚による情報は一部でしかないこと。
そのものへの出会い方を変えれば、同じものからでも違う情報を引き出せます。
ふたつめ。大原美術館で、4歳の男の子が、『モネの睡蓮の池』を見て、『カエルがいる』と言ったそうです。
しかし、作品には描かれていません。学芸員が聞くと『今、水に潜っている』と言ったそうです。
男の子は、立脚点を変えて作品を見ています。まったく違うものの見方をしている人に出会ったとき、
『そんな見方もアリだね』で済ませるのでははなく、その人に変身したつもりで空想してみることで、視点を変えることができます」
<アート鑑賞ワークショップ>
後半では、アート鑑賞のワークショップを行います。作品は、岡本太郎氏の「太陽の塔」。
- 末永講師「『気が付いたこと』を、できる限りたくさん書き出します。どんなに些細なことでもいい。ダメ出しから始めてもいいですよ。
- 作者の考えや、既存の解釈や評価とはまったく違う、ありえない見方や馬鹿げた見方をしてもいいです」
メンバーからは、「自分が見られているようで緊張する」「模様が左右非対称」「親と子のようなものを感じる」など、さまざまな気付きが挙がりました。
- 末永講師「次のステップです。もしも、そうではないとしたら?例えば『鳥みたい』と感じた人がいるとします。もしも、鳥ではない、としたらどうでしょう?」
「顔は2つではなく地面に埋まっているのかも」「堂々とした気品を感じる」「子供っぽい」など、1のステップだけでは生まれかった意見が、飛び出すように。
- 末永講師「皆さんの気付きは、とても面白いです。
- 最後に、専門家になりきって、鑑賞した作品の解説文を書いてみましょう。短い文章で、大丈夫です」
「人の幸せを象徴する作品。中央は苦しみの顔を表し、幸せが飲み込んでいる」
「てっぺんの表の顔に対して、お腹の裏の顔は煮えたぎるように激しい」など、ハッとするような解説文が発表されました!
末永講師「色んな見方を横断したうえで、最終的に自分なりのものの見方を作っていく。
これはアートに限らず、これから皆さんが学ぶ専門分野でも、試してみてほしいことです
。自分自身の興味の種から、根を伸ばすのはとても時間がかかります。
でも、根を伸ばすことそれ自体が、自分の人生を生きること。
今日の授業が、新しい視点を得るひとつの過程となれば嬉しいです」と締めくくりました。メンバーからも質問があがりました。
――― 「アート思考」をするようになったキッカケは?
「卒業してから、私自身も絵画を中心に制作をしています。
今も毎日作っていますが、描いて売るということを考えたときに、評価の基準がハッキリした分野で戦うことに対しては違和感があったからです。
アートというものを、別の視点から捉えたいと感じました」
受講生からは「芸術作品には、作った人の意図があると思う。
作者の意図とは異なる考え方をしたときに、間違っているのでは?と思っていたんですが、
色んな考えをしていいことを知れて良かったです」といった声が聞かれました。
「自分なりのものの見方」で世界をみつめ、「自分だけの答え」を創り、それによって「新たな問い」を生み出す。
これはバンタンデザイン研究所で過ごす生活に限ったことではなく、これからのアーティスト人生を豊かにするヒントと言えそうです。
末永講師、素晴らしい授業をありがとうございました。
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